『別れの時』












昨日の晴天が嘘のように、朝から雨が降っている。
雨は、深い悲しみの涙のように止む気配がない。


『時として、現実は突然、無慈悲なものになる』


いつか読んだ本の一節。
それを身をもって知らされようとは、欠片も思っていなかった。


だが今、目の前に広がるのは確かな現実。
そして、俺の傍には一つの棺がある。
その中には、大切な人が一人、横たわっている。
決して眠っている訳ではない。
触れて分かる、肌の冷たさが『死』を実感させる。


今、この部屋には俺と彼女の二人きり。
皆、気を利かせてここから離れてくれた。
俺の心を、悲しみ、そして後悔の念が包む。


皆に教えて貰い、ようやく分かったおまえの気持ち。
すまなかった……
俺はその気持ちに答えてやるどころか、気付く事さえ出来なかった。
すまなかった……
そして、失って初めて気付いた、俺のおまえへの気持ち。
すまなかった……


自分の鈍さに呆れ返るのを通り越して、自己嫌悪に陥った。
今更後悔しても、もう遅い。
おまえが帰って来ることは二度と無い。
……だから、これは俺のせめてもの償い。
俺はそっと彼女の左手を取り、薬指に指環をはめた。
そして、二度と開かれることのない目を見つめ、その唇に口付けた。
顔を少し離すと、彼女の頬を一滴の水滴が伝っていく。
……すまない、顔を濡らしてしまったな。
俺はハンカチを取り出し、その滴をそっと拭った。


おまえの死を知らされた時、俺はすぐにおまえに会いに行こうかとも思った。
だが、今すぐそちらへ行く事はできない。
俺にはまだ、守るべきもの、大切なものが残っている。


ここからは俺のわがままだ。……聞いてくれるか?
きっと数十年の後、俺の身体は朽ち果て、おまえのいる世界に行くことになるだろう。
できることならば、それまで俺を待っていて欲しい。
その時には、俺の想いを全ておまえに打ち明けよう。
そして、それからの永久の時を共に過ごそう。
虫のいい話だと思うだろ?
自分で言っていてそう思うんだから……。


俺の話はこれだけだ。
皆を呼んでくる。
皆には心配を掛けてしまった。


……そうだ。
一つだけ言い忘れていたことがある。
今夜はおまえの傍で寝る事にする。
だから、夢の中に出てきてくれないか?
さっきの答えが聞きたい。
それじゃ、また後で……


俺は部屋を後にする。
窓越しの少し滲んだ景色を見ると、雨は既に止み、陽の光が一条差し込んできていた。
光の元を目で追うと、厚い雲の隙間に少しだけ青空が見えた。