<はじめに>
このSSは、皆様が知り得る設定とは多少異なる部分があります。
それでも良いという方のみ、続きをお読み下さい。
なお、時間設定はとらハ2の始まりから約一年後、そして、とらハ1が始まる約半年前の5月上旬辺りとなっています。











『想う心と、温もりと。』   プロローグ













陽の光が白から茜に色を変えるまで、まだ一時間以上はあろうかというこの時刻。
海鳴で最も賑わいを見せる場所の一つ、海鳴駅前商店街は夕食の買い物にひた走る主婦や、学校帰りで辺りをぶらつく制服姿の学生でごった返していた。

その雑踏の中をどこか嬉しさを隠しきれないといったふうに顔をほころばせ、軽い足取りで歩く一人の小柄な少女。
肩ほどまで伸びた茶色の髪。
幼さの残る、愛らしい顔立ち。
少女が身にまとう、赤を基調としたその制服は、私立風芽丘学園二年生の証。

その少女の名は、野々村小鳥。
小鳥は向かいから流れ来る人々を、右に左に軽快に避けながら、商店街の中をその外れに向かって歩いていた。


しばらく歩くと、両脇に立ち並んでいた店はその姿を消し、代わりに車が頻繁に行き交う大きな道路に行き当たる。
だからといって、小鳥はその道路に向かっていた訳ではない。
彼女が向かっていたのはその脇、道路と商店街に挟まれるように建つスーパー『みくにや』。
小鳥は店の前に着くとそこで一度立ち止まり、店の表に掲げられた看板を見上げると、すぐに店の中へと入っていった。

中に入ってすぐ、入り口の脇に重ねられた買い物カゴを一つ手に取ると、小鳥は店内をゆっくりと回り歩いていく。
小鳥はスーパーの一番奥、『肉・魚コーナー』と書かれた場所まで行くと、その場に立ち止まり、肉や魚の詰められたパックを代わる代わる手に取り、熱心に考え込んでいた。

(……今日は久しぶりにお父さんも一緒だから、少し豪勢にしてみようかな?……それとも、家庭的な料理の方が良いのかな?……ずっと外食ばかりだったんだから……)

それから数分、頭に浮かんでは消えていくレシピと照らし合わせながら考え込んでいた小鳥だったが、

(……うーん、中々決まらないよ。……先にお野菜見て来ようかな……)

手にしていたパックを元に戻すと、その場を後にして、肉・魚コーナーとは反対側にある野菜コーナーへ向かっていった。





小鳥が『みくにや』に入って数分後、店の駐車場に大型のバイクがエンジン音を鳴り響かせ入って来た。
バイクを駐車スペースに収めると、その座席に跨った青年はヘルメットを外し、停めたバイクの脇に降り立つ。

「……ふぅ」

小さく息をつき、ヘルメットで押さえられていた髪を、手で軽く梳かす青年。
その近くを通り掛かった女性が、興味深げに青年をチラリと一目眺め、行き過ぎて行く。

とは言え、青年が別段妙な格好などしている訳ではない。
女性の目を引いたのは格好ではなく、標準男性と比べ頭一つ分は差があろうかという位のその大きな身体。
気付けば周りを歩くほとんどの人たちが、青年を見上げ、その傍を行き過ぎていく。
もはや周りの人が発する好奇の目には慣れてしまっているのか、その視線を特に気にする様子も無く、青年はスーパーの入り口へ向かって歩いて行った。



「とりあえず、醤油だな」

青年は店に入ってすぐ、小さく呟くと、調味料コーナーへ向かって行った。
そこでお目当ての普段使っている醤油を手に取ると、辺りをキョロキョロと見渡しながら店の中を巡り歩いて行く。

(……他に何か必要なものあったかな?)

一通り店の中を歩き終え、特に必要とするものが無かったのか、青年は醤油のボトルを一本手に、野菜コーナーの中を抜け、レジへと向かって行った。

「……ん?」

だが、野菜コーナーを抜けるその途中、青年の目に強く興味を引くものが映った。
視線を向けたその先にあったのは、台の上に山と積まれたたまねぎ。
そして、その脇に貼り付けられた黄色い紙には、赤いペンでデカデカと書かれた『特売!一玉10円!』の文字。

「ラッキー♪ まさか特売やってるなんて思ってもみなかったな」

青年は嬉しそうに笑みを浮かべると、天高く積まれたたまねぎ目掛けて歩いていく。

―――と、その時、ふいに視界の中に一つ影が入り込んできた。

それは、一人の小柄な少女。
背格好から察するに、この春中学生になったばかりといったところか。

少女は青年の視界の中をゆっくりと歩み、ちょうど向かっていた先、特売品のたまねぎの前に立ち止まった。

(……学校帰りに家のおつかいか。……えらいなぁ……)

青年が感心した様子でその姿を眺めていると、少女は手にしていたカゴを床に置き、堆く積まれたたまねぎの頂上へ向けて、目一杯身体と手を伸ばした。
だが、たまねぎは少女の背丈よりも更に高く積み上げらているため、どう足掻いても手は一番上までは届かない。
仕方なく諦めたのか、少女はすぐに身体を戻すと、山の中腹辺りからたまねぎを一つ抜き取るが―――
突然、積み上げられていた山の上半分程が一度グラリと傾ぎ、続いてその前に立つ少女目掛けてゆっくりと崩れ出した。
どうやら、少女が何気なく取ったそのたまねぎが全体のバランスを保っていたらしい。

「危ないっ!」

青年は咄嗟に叫び、床を強く蹴ると、手にしていた醤油のボトルを宙に放り出し、崩れ来るたまねぎとそれを見詰め呆然としている少女の間に体を入れた。

「……きゃっ!」

遅れて悲鳴を上げた少女は、自らの身を抱くように体を縮込めると、手で頭を覆い隠し、目を固く閉じる。
その直後、雪崩のような盛大な音を立て崩れて来たたまねぎの山は、少女の上に覆い被さる様に立った青年の背中目掛け崩れていった……。





「大丈夫?」

突然崩れだしたたまねぎから少女を守る為、その身を呈した青年―――槙原耕介は、もう決して襲い来る事の無いたまねぎからその身を守ろうとしている少女―――小鳥に優しく声を掛けた。

「……えっ?」

自分に向かって崩れて来るはずのたまねぎが一向に崩れて来ず、その代わりに聞こえて来た声に小鳥は小さく驚きの声を上げると、ゆっくりと閉じていた目を開けた。
おずおずと開けたその目に映って来たのは、自分に覆い被さる様にして立つ人の姿。
そこからその視線を上へと持っていくと、その先にあったのは自分に向かって優しげに微笑む男性の顔。
最初の内こそ状況がよく飲み込めないのか、目をパチクリと開いたり、閉じたりしていた小鳥だったが、突然その場に勢い良く立ち上がった。

「……あ、あの…………えっと、あの、……その、…………あ、ありがとうございます。…………助けて頂いたんですよね……?」
「うーん。……まあ、そうなるのかな?」

立ち上がり様、深々と頭を下げた小鳥に、耕介は辺りをキョロキョロと見回しながら少し照れたように言葉を返す。

「……本当にありがとうございます。…………あの、……ケガ、されてませんか……?」
「うん、ケガはしてないんだけどね……」

申し訳なさそうにもう一度頭を下げ、心配げな瞳で見上げる小鳥に、なぜか耕介は辺りを窺う様にまたもキョロキョロと視線を漂わせる。
小鳥が耕介のその妙な態度を不思議に思い、自らも周りに視線を送ると―――、
そこには、辺りの床一面に散乱したたまねぎと、少し離れた辺りから二人に、何事かと好奇のまなざしを向ける人たちがいた。

「!!」

周りから寄せられる視線に少し怯え、小さく体を震わせる小鳥。

「取りあえず、拾おっか。このままにしておく訳にもいかないし」

そんな小鳥に耕介は一言声を掛けると、その場に屈み込み、床に散乱した大量のたまねぎを一つずつ拾い始めた。

「……えっ? あっ、はい!」

小鳥も少し遅れて耕介の言葉に返事をすると、一緒になってたまねぎを拾い始める。
その様子を見て、辺りにたむろしていた買い物客たちもそれぞれ自分の買い物に戻っていった。
それを視界の端に映し、小さく安堵のため息をつく小鳥。

その後、二人はお互い無言のまま、黙々と床に散らばったたまねぎを拾い集めていた。



「……っと、これで全部かな?」

2、3分の後、床に散らばったたまねぎを拾い終えた耕介と小鳥は、どこか小さな隙間にたまねぎが転がっていってはいないかと台の下などを確認していた。
そして、それが無いのを確認すると、二人はその場に立ち上がり、床に着けていた膝などに付いた埃を軽く払う。

「……あの、本当にありがとうございました。…………助けて頂いただけじゃなく……」

一度頭を下げ、顔を上げてからお礼を言う小鳥の言葉が途中で止まる。
その原因は、小鳥の頭の上に軽く乗せられた大きな手。

「そんなの気にしなくて良いよ。……困った時はお互い様って言うだろ?」
「あっ、……はい」
「それじゃ。俺は急いでるから、これで」

呆気に取られている小鳥に、耕介は小さく手を上げ、別れの言葉を告げると、先程たまねぎと一緒に拾っておいた醤油のボトルを掴み、本来向かっていた先―――レジへ向かって歩き出した。
その耕介の背中をしばらくの間、呆気に取られたまま見詰めていた小鳥は、その後姿が見えなくなったところでふいに我に返ると、台の上に積み直されたたまねぎを5つ、買い物カゴに入れ、中断していた自分の買い物へ戻っていった。



―――そのしばらく後。

無事残りの買い物を終え、買い物袋を片手に店を出て来た小鳥の顔には、店に入っていった時よりも幾らか嬉しそうな笑みが零れていた。



―――そして、その頃。

『みくにや』を後に、さざなみ寮へ向けてバイクを走らせている耕介はというと―――、
先程崩れて来たたまねぎがぶつかった、背中や腰の痛みに顔を僅かに顰めながら、

(……もしかして、美緒がたまねぎを嫌いなのは……、昔、真雪さんにたまねぎで殴られたことがあったからじゃないのか?……)

などと、妙な事を真剣に考え込み、

「……! しまった……、たまねぎ買うの忘れてた……」

すっかり買い忘れていた特売品の事を思い出し、少し落ち込んでいた……。